近代能楽集@さいたま芸術劇場(6/11)

近代能楽集
ソワレ
下手センター寄り6列目の席でした。

台詞は本と全く同じです。

私は、見て感じ取り創造することは出来るのですが、
言葉で表現したものに、想像力を働かせるという作業に苦労するので、
ちゃんと理解できるのかしら?なんて思ってたんですが。
凝った言い回し、排他的な世界観、究極に論理的で楽しめました。
言葉の魔力ってやつー

 ==卒塔婆小町==
 夜の公園で、99歳の乞食の老婆(壌晴彦)に話し掛けた詩人(高橋洋)。
 老婆の鹿鳴館時代の話を聞くうちに、詩人は醜い老婆を美しいと思い始める。
 老婆は「あたしを美しいと言った男はみんな死んでしまうからおよしなさい!」と必死に止めるが、
 詩人はその言葉を発し、悦びを噛み締めながら死んでゆく。—-

延々とボトッボトッと椿が落ちる…
「美しいまま落ちる」という椿の特徴とシンクさせてるようです。
(椿は実った花は枯れずに、根元から落っこちる)
醜い老婆と詩人がワルツで踊る姿は麗しき淑女にしか見えなかったです。
きらきらしてる壌さんがステキでした。

最高の幸せの頂点で死ねるなんて、ハッピーな話かもしれない。
頂点からは落ちるしかないし、死ねば無くす怖さは味合わなくていいから。

 ==弱法師==
 盲目の二十歳の青年、俊徳(藤原竜也)が生みの親と育ての親との間で親権を話し合う場面。
 5歳時に空襲で目を焼かれた俊徳は屈折した人間に成長した。
 家裁の調停室から差し込む真赤な夕日の色を
 「この世の終わりの景色」と重ね、本人の口から語ってゆく。—-

現実に戻った俊徳の最後の台詞、
「ねえ桜間さん、どうしてだか僕って、誰からも愛されるんだよ」
その瞬間、調停室のセットが落とされ、打ちっぱなしの壁が全面に現れました。
盲目の俊徳はその部屋に一人残されている事に気付かず言っています。
“引き戻された今の現実自体が現実でなくて、誰からも愛されるなんて、自惚れなだけなんだよ”
ということを示し、虚しさを醸し出していました。
最後に三島由紀夫の演説が流れる…

人を喰ったような俊徳(藤原竜也)の偏屈ぶりがいい。
憑依系の演技する人なので役に合ってるのかもね。

桜間級子(夏木マリ)は俊徳を現実に引き戻す場面は
一瞬で冷静の空気を醸し出していて(空気が変わった!!)よかった!

当日券もちゃんと出てるみたいなので、もう1回観に行こうか思案中。

帰りの埼京線で人身事故があって長いこと足止めを喰らいましたが、
付近にいた三島オタと思われるおじ様達の語りを聞きながら歩いていました。
嫌味や押し付けがましいさもなく、面白かった。

しかし、さい芸は遠い。

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